祝 日本遺産認定
荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間
~北前船寄港地・船主集落~
「日本遺産」は、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーとして文化庁が認定するものです。
全国の北前船寄港地や船主集落からなる日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間」に、令和2年6月19日、白山市が追加認定されました。今後、構成する全国48市町が連携し、北前船文化を国内外に発信していきます。
認定されたストーリーの概要
日本海や瀬戸内海沿岸には、山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。
そこには、港に通じる小路が随所に走り、通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。
また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、京など遠方に起源がある祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。これらの港町は、荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で時を重ねて彩られた異空間として今も人々を惹きつけてやみません。
手取川河口に位置する本吉湊(もとよしみなと)は、室町時代には、日本の十大湾港、三津七湊(さんしんしちそう)の一つとして知られ、江戸時代から明治時代にかけ、北前船の寄港地・船主集落として栄えました。
本吉湊には、北前船が往来して諸国の産物がもたらされ、米や美川仏壇などの商品が移出されました。町には藩の米蔵が建ち、加賀の豪商・銭屋五兵衛と並び称される船主を輩出。「加賀の本吉 銀(かね)の出所(でどころ)」とうたわれ、北前船がもたらす豊かな経済力は加賀藩にも大きな影響を与えました。
美川地区には北前船主の館が軒を連ねた「郎平辻(ろうへいつじ)」という場所があり、その周辺にも多くの船主等が居住したといわれています。湊地区にも呉竹文庫を創設した熊田源太郎をはじめ、廻船業に携わる多くの人々がいて、船主や船員が居住する船主集落としても賑わいをみせていました。
北前船主等が信仰した神社。航海の安全を祈願した額や船の模型などが奉納されている。
住所:〒929-0215 白山市美川南町ヌ167
航海の安全を祈願して奉納された船の模型や額。
北前船主が船員を招き催した酒宴で唄われた祝唄。
今湊神社
(市指定建造物ほか)
北前船主等が信仰した神社。航海の安全を祈願した額や船の模型などが奉納されている。
住所:〒929-0217 白山市湊町151
美川のまち歩きでは足元にも注目。マンホールのフタに北前船と霊峰白山が見つかります。(写真はJR美川駅前本町通り)
日本遺産認定を記念して、あちこちにのぼり旗を設置しています。JR美川駅には看板を設置。
観光ガイド「美川おかえりの会」のまち歩きツアー、地元ならではの丁寧な解説で美川をひと回りしました。
今に伝わる北前船の栄華を地元の5人が語り、定員いっぱいの会場からは日本遺産認定の盛り上がりが感じられました。
バスで見どころをひと巡り。藤塚神社拝殿では船主が航海の安全を祈願して奉納した北前船の精巧な模型を鑑賞。
歌詞に「日本遺産認定お祝いの御酒ぢゃもの」と織り込まれ、北前船の時代から伝わる祝い唄で華やかなオープニングとなりました。
文化庁より、大阪府泉佐野市、石川県志賀町、そして白山市へ日本遺産認定証が伝達されました。
北前船に関する著書多数の加藤氏より、「動く総合商社」だった北前船のロマンや当時の北陸の繁栄についてお聞きしました。
小樽商科大学の高野氏、金沢大学の青木氏を加え、北前船の歴史的意義と観光資源化、ジオパークとの関連についてなど幅広い視点で考えました。
3市町の認定証をフォーラム終了時に展示。今後、北前船で結ばれた全国48市町で協力しながら、地域の魅力発信に努めます。